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AI時代にはサンクコストを捨てるべき←ほんまか?

#AI

“AI時代にはサンクコストを捨てるべき”みたいな主張をよく見る。

ここでいうサンクコストは、LLMの台頭以前の知識や経験のことで、上記の主張をしている人に言わせればそういったものは無に帰すそうだ。

この主張には僕は全く賛同できない。

賛同できない理由

まず、自分の経験をサンクコストとして認識できる人は元からサンクコストを捨てることができる人で、捨てられない人はコストとして認識できないので無駄な話に思える。

次に、たとえコストではないかと考える事ができる人だとしても、“頭ではわかっているけど手放せない”という状態になることもある。それは潜在的にコスト以上の価値があると認識しているからで、価値があるのであれば当然それはサンクコストではない。

さらに、他者から見てサンクコストだと言ってしまうのは簡単だが、そう決めつけてよいわけではない。AI時代になってより未来を予想するのが難しくなりつつあるのに、他者が一方的にサンクコストだと決めつけたり、その決めつけに当人が揺り動かされてしまうことには違和感を覚える。

そもそも、この主張への賛否の根には、あらゆる経験は無価値になりうるものだと認識しているか、逆にあらゆる経験は抽象化された普遍的な価値に結びつく(というか自分の意識次第で結びつかせることができる)ものだと認識しているかという、思想の違いがある。
私は後者の立場なので、簡単にこれまでの経験を「サンクコスト」と呼ぶのを忌避している。
経験がサンクコストになるようであれば、それはそもそも抽象化された普遍的な価値を得ようと普段からしていなかった結果であり、AI時代になる前から、時間や労力を注ぎ込むには危ういものだったように思える。

百歩譲って、経験が無価値になることもあるためサンクコストだという前者の立場で考え、サンクコストを捨ててAI時代に必要とされる新しい仕事や方法論を積極的に身に着けたとして、AI時代においては、少なくとも具体的な方法論のようなものは頻繁に移り変わる、非常に変化の激しい時代なので、すぐにまたサンクコストになって捨てる必要がある。
そのようなことに人生の有限な時間を賭けるのは賢明でない(それが好きならば良いが、少なくとも人生を豊かにするという目標に対して効率的ではない)ように思える。

この主張の狙いを邪推する

もっとも、ここまで検討するまでもなく、こういう主張をする人の狙いは見えている気もする。サンクコストを捨てて時代に柔軟に対応できる人間ですよ、と自分をアピールしたいか、さして価値のある経験をしてこなかった人に都合のいいことを言って情弱ビジネスをしたいだけなんだろうな、と思っている。

— fin. 2026-06-28
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