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ダブスタを批判するダブスタ

あれは叩かれてるのにこれは叩かれてない、ダブスタだという人をよく見るけど、普通に観測範囲に入ってないだけなことも多いし、もう少し寛大になれとと思う。昔の自分もそういうダブスタに過敏だったので自戒も込めて。
目に入ってないというだけも許さないとすると、認知したダブスタは叩くのに他のダブスタは叩かないというダブスタをあなたもしてますよねということになる。

例えば、日本人が日本人に対して批判をする風潮に対して、「海外でも同種の事例がある。そちらは叩かないのはダブスタだ。同族の足を引っ張る日本人の悪い癖だ。」という批判をする人 (Aさん) がいたとする。 Aさんには日本人が都合の悪いこと (海外事例) を見ようとせず、日本人が日本人を標的にダブスタをしているように見えているが、考えてみれば日本に海外の情報が話題にならないのは当然である。都合が悪いから見えていないのではなく、都合に関係なく見えていないということも考えられる。

「叩いていない」は「許している」ではないし、「知らない」は「都合よく見ないようにしている」と同義ではないのだ。

  • 「批判されていない対象がある」ことから、「批判者がそれを許している」と推論してはいけない。
  • 「見えていない対象がある」ことから、「都合が悪いから見ていない」と推論してはいけない。
  • 「片方が話題化している」ことから、「もう片方が意図的に隠蔽・免責されている」と推論してはいけない。

同じ主体が、同じ情報圏内で、同程度に認知可能な類似事例を、継続的に非対称に扱っているときだけダブスタを疑うべき。

— fin. 2026-06-30